=トピックス・お知らせ=

19日大きな地震がありました。かなり揺れて家がミシミシいいましたが…家族ともども無事です。ご心配おかけしてすみません。常連のsakeさんは村上の酒屋さんなのですが…大丈夫かな?

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計算尺って何?

やれ「当時は計算尺と算盤だけで」とか「計算尺しかない時代に…」とかコメントをもらうたびに「そーだよねスゴイよね」って頷いていましたが…昭和40年生まれで、そもそも計算尺なんて見たこともない世代…なにも知らないのにただただ頷いていてはチコちゃんに叱られます。

今回大和を作るにあたり歴史背景としても是非「計算尺」なるものを調べておかねば…と思い立ったのであります。

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↑計算尺…どうやら、こんな感じのようです。(写真のものはHEMMI No.250というものです。ノーベル物理学賞受賞の益川敏英様が使用していたのと同じモデルです。)…でもこのタイプ(両面型)は主に戦後になって作られたものらしいです。

…では大和やゼロ戦の技術者はどんな計算尺を使っていたのか…

ネットで検索すると計算尺の代名詞のように「HEMMI」という名称が出てきます。HEMMIヘンミというのは逸見治郎が欧米視察(フランス)の土産として政府の官僚の方から手に入れたものを参考に素材を「竹」で作った計算尺の会社…逸見製作所の製品に名付けられたものです。(現在のヘンミ計算尺…当時はほかにも富士計算尺やRicohなどのメーカーがあったようです)

日本の計算尺は「ここから始まった」ようです。

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↑これが大正時代初期のHEMMIのモデル…[SUN HEMMI]ではなく[J.HENMI] です。欧米から必死に技術の導入を行っていたころですがシッカリと「逸見式専売特許22139」ってあります。

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尺の構成はホントに初期の単純シンプルな表ABCD尺と中間の滑尺の裏面がS(Sin)L(Log)T(Tan)尺というマンハイム型というものです。掛け算割り算、三角関数の計算に強いタイプです。

日本の竹製+セルロイドのものは欧米の木+セルロイドのものより湿度による変形に強いということで実に当時の「世界シェアの80%」を日本製が占めていたといわれています。(実は計算尺の優等生であるドイツ製は第一次大戦の関係やらなんやらで輸出規制でノーカウントになっているだけとか…)

その後計算尺はリッツ式やダルムシュタット式といわれる発達した尺の構成になりさらにスタジア用、電気技師用、高精度用、軍用、ビジネス用など専門分野に特化したものが派生していきます。そろばん文化のない西洋(特に通貨や数量換算の需要の多いイギリスなどでは必需品)だったようです。(今でもヘンミのビンテージのものはイギリス辺りで多いみたい)

さてそんな「計算尺」ですが…当時の技術者はどんなものを使用していたのでしょうか。

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その1 「風立ちぬ」…堀越二郎氏の場合

 ゼロ戦の設計で有名な堀越二郎氏が「戦前から愛用していた計算尺」なるものが映画「風立ちぬ」公開の際に所沢で記念展示されたようです。

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↑いろいろと探し回り手に入れました。どうやらこのタイプ J.HEMMI "SUN" HEMMI No.1/1 かな。長さは28センチです。  J.HEMMI "SUN"とあることで戦前タイプのもので1913~1929で大正2年から昭和4年に製造たものでさらに前期型といわれるグループのものです。シンプルなマンハイム型です。

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堀越二郎(1903年- 1982年)の年表と合わせると…おそらく大学(東京帝国大学)か三菱入社頃に手に入れたのかなと思います。64

国会図書館の計算尺の本を読んだりして使い方をあれこれ勉強したりした結果、一定の割合での線の変化みたいなものを連続的にとらえるのにはとても適している感じがしました。ゼロ戦の機体の美しく洗練されたカーブはもしかするとの計算尺ならではのものなのかなとも思いました。

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その2 「船頭のサオのようなものです」…内藤多仲氏の場合

「東京タワー」を設計し「耐震構造の父 ・塔博士」と呼ばれた内藤多仲氏が生まれたのは堀越二郎の生まれた1903年をさかのぼること17年の1886年…実は内藤多仲氏の方が17歳も年上なんですね。当然生まれたころには「日本製の計算尺」なんてありません。のちに「ポケットの計算尺一つあれば新幹線で大阪に行く間に構造設計が1棟分できる」と語った氏は一体どんな計算尺を使ったていたのか? 

実は氏の記念展示会が開催されたときに旧制中学校生徒用計算尺 HEMMI No.2640というものが展示されたそうです。

しかし「恩師からのヨーロッパ土産でもらったポケット型の小さな計算尺」と語っていたということでちょっと矛盾が生じます。そこでいろいろと調べてみると…

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東京タワーが完成間近の昭和33年の週刊誌の記事を見つけました。と同時にそれらしき計算尺を入手しました。長さは15センチです。66

「設計の計算は大正2年以来、半世紀も使い続けていた愛用の小型計算尺一つでやる…床に落としてガラスが割れても私には船頭のサオのようなもんです」とありました。ほんとにかわいい感じです。(いや女性の方じゃなく…)

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この計算尺… メーカー名はD&P(番号は29と刻印されていますが…氏の使用したものは28かも)といいます。現在のアリストという会社の設立当初の名前がD&Pらしいです。こちらも大きさこそ違いますが堀越二郎氏のHEMMIと同じくシンプルな尺構成のマンハイム型です。

やはり三角関数でタワーの斜めの脚を設計、感覚的にとらえるにはとても良いツールかなと感じました。

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二人とも分野こそ違いますが初期のシンプルな計算尺を大切に使っていたことがわかります。大正から昭和にかけてはタイガー計算器という機械的な計算器もあったので本格的な細かい計算はそちらに任せて、もっぱら計算尺はアイデアを大雑把に検証したり構造のヒントを得るためのスケッチブックのようなツールだったのかもしれません。

現代の関数電卓も今回実際に使って色々と試したのですが小数点が何ケタも出てくるのはすごいですが、それが邪魔になることもあります。ご存知の通り昭和60年代には「電卓」が発売され、まさに「アッと」言う間に計算尺は姿を消していきました。(Apollo計画の初期のころは緊急用にピケット社の計算尺が積み込まれ、実際に使われたこともあった…がApollo計画の後期では司令船のナビゲートシステムより宇宙飛行士のポケットに入ったHP社の電卓の方がはるかに性能が良かった。という逸話も…)しかしながら大きくイメージで数字をとらえることのできる計算尺は意外と便利なものだと思いました。

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で、次回にでも先人たちの苦労に敬意を表して「実際に計算尺を使ってペーパークラフト大和のパーツの一つでも作って」みたいと思います。実は意外と「展開図の作成」に相性のいい道具だったりして…

 

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1/200 大和 YAMATO ロ号艦本式缶

1/200 大和 YAMATOです。

まだまだ二重底のパーツ化が終わっていませんが、配管等関連する部分もあるので二重底の上層部に配置される「ロ号艦本式缶」を考察しました。先回の続き12基あるボイラーですね。

大和は当時の先端技術を注ぎ込んだ面もありますが機関に関しては当時の最先端技術のディーゼル機関(内燃機関)ではなく安定していて実績のある「ロ号艦本式缶」(外燃機関)を採用していました。

この「ロ号艦本式缶」というのは呉の大和ミュージアムに展示されている「金剛で使用されたヤーロー缶(英yarrow社)」の発展したものなのですが…実は当時は一口で「ロ号艦本式缶」といっても様々な型があったようです。

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↑大和ミュージアムの金剛ヤーロー缶。三角に組み上げられた水管を熱して蒸気を得る仕組みですね。ただし大和では「石炭」をくべるのではなく「重油」を燃焼させるタイプだったそうです。

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↑ネットでいろいろ探しましたが正確なものが無く苦労しました。行きついたのは「国会図書館」のページです。デジタル公開している当時の資料「軍艦機関計画一班. 巻ノ2 図(1919年)」を見つけました。大和の建造計画が1936年なのでちょっと古いですが基本形はこんな感じです。

この資料のものは混焼缶といって上段(円形のコーン)3つで重油、下段(四角い斜めの扉)3つで石炭を燃やすタイプです。石炭の燃やしカスを掃除する扉が最下部に三つあることから「ミュージアム」の燃焼部分の模型のモデルになったタイプかなと思います。さらに内部を再現しましたとうたった模型や内部を再現したイラストでもよく見かけるものはこのタイプのものが多いです。

でも大和は「重油専焼」タイプだったというので…残念

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↑こちらが「重油専焼」タイプです。(石炭を燃やす場合あまり奥には石炭をくべられないので長さが短いのですが、重油タイプはそれより長くなっています。よく見ると左右の丸い筒状の「水ドラム」に着いた四角い小さな足が4つから6つになっています。)これをもとにイラレで描きこみをしてみました。

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↑こんな感じ…ペーパークラフトのパーツになると幅が3センチに満たないくらいとなるのでゴチャツとしてほとんどディテールがつぶれるのですが詳しく描いてみました。

 

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↑メンテナンス用の足場の位置を書き込んで人物シルエットを配置。別の資料から缶室のフレームの位置と缶の台の大きさがわかっているので当てはめてみます。

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3Dスケッチでも確認…まぁ問題ないといえば問題ないような気がするのですが…缶の下のスペースとフレームの位置と足の数にちょっと無理が…そこで再び資料を探します。すると…

NHKの特番で海底の武蔵のボイラーが映ったシーンを発見。どうやら「一度発生させた蒸気を再度、缶に戻して過熱させる」という「過熱器付きのタイプ」だったようです。過熱器は左右の水管に差し込む感じで正面から見て「ハ」の字に取り付けられていました。

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↑国会図書館のページから「国産機械図集(1939)」とネット拾い物…NHK特番の画像と合わせると、どうもこのタイプではないかと(水管の上に空気を温める管も描かれているが…) 注意するのはバーナーの数…戦時中の文書で機密に関わるものはわざと寸法や図の一部を書き換えたりしているらしいので若干の疑問は残るけど再度これをもとに描きます。

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↑ちょっと「こわもて」になってしまいましたがこんな感じでしょうか。それとNHKの画像(掲載は控えます)から足の数は定説の6個ではなく…胴長の重油専焼缶にも関わらず前端と後端の左右で4個だったことが判明。

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↑土台の位置とフレームの位置に合わせるとなんとピッタリ!…ピッタリ収まりはしますが左右と後ろのスペースは人ひとりが通れるくらい…「詰め込んだ感じ」ですね。メンテナンスとか大変そう。

以上がここ2か月くらいかけて出した「大和のロ号艦本式缶」に対するuhu02の回答でした。

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1/200 大和 YAMATO 今日4月7日は…

先回の更新から随分と日がたちました。大和は少しずつですが進んでいます。作業的には二重底と船倉甲板の描きこみです。

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↑二重底のフレーム(小骨にあたる部分)の描きこみをしました。

二重底は重油のタンク、船倉甲板は大和の心臓部であるボイラーが12缶並ぶ重要な部分です。さらに以前書いたように二重底の重油は船のバランスをとるために前後左右のタンクに自由に移動させることができました。ということでこの燃料用の配管を行いました。

燃料の移動は艦の前後四ケ所にある全20基の重油移動ポンプで移動できたこと。前後のメインとなる配管は直径20センチの配管が電線経路部分に設置されていたことが資料で分かりました。

更に当時の配管の色分けで燃料は黄色だったことや、弁は全体の指揮所や管理区域の指揮所から遠隔で操作されたことがわかりました。で、いろいろと試行錯誤しながら配管を行いました。(電線経路のメインの配管以外のこまかい配管のみ行っています…電線経路はもう少し上の階層デッキとなるため)

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↑二重底中央部分です。黄色の配管が燃料の配管です。メンテナンスや弁の手動での開閉を考えると薄茶色の水防区WTCに配管がされていたと思われます。

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↑船倉甲板中央部分です。(前の図の上の階層になります)  当時のボイラー(ロ号艦本式缶・ろごうかんほんしきかん)幅5mが横に4列、縦に3段に並びます。当時の資料をリサーチしてボイラー周りには「主給水ポンプ」「補助給水ポンプ」「噴燃重油ポンプ」「点検用手動ポンプ」「消防ビルジポンプ」が配置されていたことがわかりました。当時の艦「妙高」の配置図を参考に二重底の構造とすり合わせながらかくポンプの位置を特定しています。(例えば「主給水ポンプ」「補助給水ポンプ」 は下層の予備水タンクに連結、「噴燃重油ポンプ」「点検用手動ポンプ」 は下層重油タンクに連結、「消防ビルジポンプ」 は水防区を突き抜けて船底の注排水孔に接続等)

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↑艦首側「重油移動ポンプ室」周りの配管は注排水区の各区画から下の二重底の重油タンクに接続。

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↑艦尾側の二重底の配管

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↑その上の船倉甲板「 重油移動ポンプ室 」周り… 燃料配管はおそらくこの上の階層に上がってからこの階層のタンクに接続すると思われます。

代わりにプロペラシャフトの通る軸管室からビルジタンクに排水管を配置しました。

ここまで戦艦の機関関係についてあれこれと調べてかなり時間がかかりました。大和というのは資源の乏しい日本が粗末な重油と水を最大限に利用したものだっということに感心しました。ボイラーからの蒸気を利用したポンプや発電機、水圧を使った遠隔操作のシステムや砲塔の稼働などまさに火と水でできた巨大プラントという感じでしょうか。

おりしも今日4月7日はこの巨大戦艦とともに2740名が亡くなられた命日です。そのことを考えると切ない気持ちになりますが、「その艦のことを知ること忘れないことが一番の供養」ということで頑張って作業を進めていきたいと思います。

 

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1/200 大和 YAMATO 船蔵Hatch deckとバイタルパート

1/200 大和 YAMATOは現在船体の下部から順にデッキの3D化と描きこみを行っていますが…

 

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↑前回の船底二重底に続き船蔵Hatch deckを描いています。…描くといってもまだ位置確認のためのメモと色分けをしているだけですが…(最終的には配管やハッチ、配電盤などを描いていくことになります)

 

 

 

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↑船蔵Hatch deckの船首部分です。黄色のバランスタンクの後ろに錨鎖庫Anchor cable roomや電気科、砲術科、機関科の倉庫に加え兵員達のお楽しみ「酒保庫」があります。その後ろには探信儀送波器維持装置室Sounding roomや第1・第2重油移動喞筒(ポンプ)室Oil Pump roomがあります。砲塔や火薬庫の下になる部分はオレンジ色で示した「注排水区」が並んでいます。両舷には重油タンクが並んでますね。

 

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↑中間部は船の心臓部…缶室と呼ばれるボイラー室が12庫並び更に両舷に二つづつの機械室があります。ここはボイラーの蒸気を回転運動に変えるタービンの並ぶエンジンルームになります。両舷の間には造水゜装置室があり海水から真水を作っていたようです。

 

 

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↑後部は重油タンクと真水タンクが並びその後ろに第3・第4重油移動喞筒(ポンプ)室Oil Pump roomがあります。前部と合わせ4つの重油移動喞筒で攻撃を受けて船体が傾斜したとき前後左右の各タンクに重油を移動させて船の傾斜を直したそうです。その後方には飛行機用の燃料タンクとポンプが配置されていました。

 

さてこの後船蔵Hatch deckの各部屋の仕切りをデータ化してパーツ化するのですが…一筋縄ではいきません。なぜかというと…

 

 

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大和の特徴の一つであるバイタルパートと呼ばれる装甲と一体になっている部分があり、ここはどうしても避けて通るわけにはいかないからです。データ化が一気に難しくなっきました。このバイタルパートというのは斜めになった分厚い装甲(最大40センチ?)で外殻部分に当たった弾を弾くとともにこの中がこの中が浸水しなければ絶対に沈まないというまさに核となる部分です。オレンジで示した部分です。(最終的には下図のように一部を切り取った感じでペーパクラフト化します。)
「斜めになっている」ってことはそれだけ難しい部分という事になるのだけど…やりがいがありますね。頑張ります。

 

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